えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

パンとバスと2度目のハツコイ

思いがけず、映画に心を奪われて掬い上げられることがある。
思いがけずってのも変な表現なんだけど。だって、自分から選んで、その映画を観ているわけだし。

しとしとと、あったかな気持ちが降り積もっていくような中で見終えてひどく幸せな気持ちになった。


「私をずっと好きでいてもらえる自信もないし、ずっと好きでいられる自信もない」と、独自の結婚観を持ち、パン屋で働く市井ふみ(深川麻衣)が、中学時代の“初恋”の相手・湯浅たもつ(山下健二郎)とある日偶然再会したところから物語は始まる。プロポーズされたものの、結婚に踏ん切りがつかず元彼とサヨナラしたふみと、別れた奥さんのことを今でも想い続けているたもつが織りなす、モヤモヤしながらキュンとする“モヤキュン”ラブストーリー。「初恋相手は、今でも相変わらず魅力的だぁぁぁぁあ!!」”恋愛こじらせ女子“の面倒な恋が動き出す!?「結婚」をテーマに、コミカルで人間交差点的な今泉力哉ワールド全開の恋愛群像劇が繰り広げられる。


恋愛映画がそんなに好きではない。
好きではない、というか、進んで選ぶことはない。
んだけど、私はこの映画を大好きだと思った。
恋愛群像劇だ。
だけどそういえば、恋愛、とは人と人の話だったなあ、と見終えてコーヒーを飲みながら思う。


好きな言葉や景色がたくさん出てきて、どんな感想よりもそれをひとつひとつ書き出してしまいたいような気もするのだけど、
そうしてしまうと、きっと、というか当然私の感想ではなくなってしまうので、文にしようと思う。


さみしく在ろうとする、ということがどこまでも広がってる映画で
さみしく在ろうとするのはふみなんだけど、でもみんなそうだ、と思ってしまった。
思ってしまったけど、さみしいことは悪いことではないと思う。
どのシーンも言葉も優しくて優しいけど体温があって、だからそう思うんだろうか。

さとみちゃんが、すごく愛おしくて。
あー彼女はふみが本当に好きだったんだなあ、と思った。
恋情と親愛の違いとかを分けることは難しい。
性愛、を絡めたら分かりやすい気もするんだけど、なんか、この映画に関してはしっくりこなくて。
そもそも、野暮じゃないですか、そこ分けるの。その人にとって恋だったら恋だし、愛じゃん。
そして、さとみちゃんが今幸せ、と言って笑った時に泣いたふみが、ものすごく好きだ。
あれは、そうして自分を好きでいてくれた人が幸せことが嬉しくてほんの少し寂しいような、そんな気持ちなのかな。どうか分からないけど、私はそうだな。
そしてそのさとみちゃんがまたこれからもこうして会おうって言ったことがとても好きだ。
付き合ったり結婚したりしないからずっと一緒にいれるってこともあるんだよ、とは言い得て妙で、残酷でだらしなくてでも、優しい。

孤独のコインランドリーをふみはこれからも必要とするのかもしれないけど、それは不幸でも不誠実なことでもない。
必要としなければ、きてもらえないコインランドリー。
だけどそこに、きたらいいのにねって言うふみが愛おしい。し、そうだねって思う。
何も、必要だけで固めることはないし、必要最低限だけしか持っていけないなんて、そんなことないはずだ。それを守ってくれる男の子のことを考える。

映画を見終わった直後のメモに微睡みの中で聞いた言葉とか見た景色って書いてあった。
それは映画全体に漂う懐かしさがそうだし、彼らの言葉がじんわりと胸に広がっていく感覚がそうだ。
あの2時間弱が私にはものすごく大切で、大好きだった。
この映画は、私の為だ、なんて大袈裟で独り善がりな感想だ。だけど、私はこの映画に出逢えてよかったって繰り返し言いたくなる。

映画って、人と寄り添うものなんだな、なんて思ったりする。うん、どうあっても大袈裟な物言いになっちゃうな、でも、本当にそう思ったから仕方ないな。


ふみが、愛おしいのはその生活感で。
(そういう意味で、彼女がパン屋さんなの、最高すぎると思う)
彼女が、と言ったけどそれはひいては私がこの映画が好きな理由にも繋がってる。
洗濯機を大切に使ってたこと、それをありがとう、と言う業者さん。妹が作った肉じゃがと焼き魚とお味噌汁。
彼らがそれぞれ見せた互いの日常は、体温がある。
幸せそのものみたいなさとみちゃんの家も決して偽物臭くない。
本当かどうかなんか、どうでも良くてそう感じるかどうかだよ、と言う台詞が耳に残ってる。
だとしたら、彼らが本当に私たちの生活の隣で同じように生活してると感じた、それが私にとっての本当だと思う。

たもつと、ふみはちょっとずつズレててほんの少しで、でも使い古された言葉ではあるけど、恋愛で一番大切なのがタイミングだとしたら、それはそういうことなんだなあ、とあの山でのシーンで思ってなんだか無性に泣けてしまった。それは不幸ではないんだけど、でも、やっぱり寂しいと思ってしまった。
の、あとに、あの夕日を見るのがさあ。
ふみの絵をいい絵だってたもつが言うのがさあ。
百点満点で、タイミングがドンピシャじゃなくても自信がなくても、まだあいこのことが好きでもふたりで笑えるんだなあ。
それは妥協とか傷の舐め合いとかじゃなくて、きっと言葉にするもんじゃない何かだと思う。

好きでいいじゃん、みたいな。好きじゃん、みたいな優しくて無責任で、何も解決しないけど、めちゃくちゃ優しい大切な答えがそこにあるじゃないですか。


人はひとりでしかなくて、ままならなくて
さみしく在ろうとすることや、あの青はたぶんずっとそこにあって
でも1+1は2なんだなあ、とあの青い空気の中を歩くふたりを見て、思った。片思いでもなんでも、1+1は2なんですよ。