えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

髑髏城の七人

髑髏城の七人の感想という名の捨之助の話です。

ワカドクロから始まり、他団体のワカドクロ脚本の髑髏城を見て、鳥髑髏はステアラにて観劇、下弦の月をライビュで見て
いやもう、髑髏城すごいなーーーー!の気持ち。

ざっくりとしたあらすじとか書いてたんだけど、
なんタイプかの髑髏城を見た上での捨之助を中心とした感想を書きたいな、と思ったので割愛!
たぶん、たくさん凄く緻密な考察とか、詳細な感想とかあるんだと思うんですが、私のこれはただひたすら捨之助好きだなあ幸せになってほしいなあって言ってる文です。

 

そもそもなんでこんなに捨之助が気になるのか。
ワカドクロを初めて観た時、王道エンタメ主人公だ!と興奮した。
色男で、調子が良くだけど締めるときはきちんと締める。腕っぷしも強くて愛嬌もあり、優しい。しかも格好いい。文句なしの主人公だ。
七人ばーん!と並ぶシーンなんかは、あまりに格好良くて震えた。
それまで、メタルマクベスとかどちらかというと悲しくなる新感線を観ることが多かったのもあって尚更そう思った。勿論、そっちも大好きなんだけどね!
ただ、一方で。
捨之助は何がどうしてしたかったんだろうな、と引っかかったような気もした。
王道エンタメ主人公。
あまりにその枠にいる人として理想的すぎて、逆に私の中でデフォルメ化してしまって、人として私にしっくりこなかったのかもしれない。

蘭兵衛はそういう意味では目的も感情もハッキリしてる。
信長への想いも無界屋への想いもどちらも凄く人間臭い。狂おしいくらい強い感情がずっと彼の中にあって、それにどんどん翻弄されていく姿が本当に美しい。

で、捨之助なんだけど。
捨ててきたからこそ、浮世の情も因果もないから、だからあんなに浮いているのか。
情に篤い振る舞いを見せ、行動していても。
髑髏城の本編では彼は空っぽのままで、あの七人での冒険を経て残った葛藤とか鬱屈としたものを浄化してもう一度その空になった自分をいっぱいにしにいく旅に出る、という終わりなのか。あーそんな気もするんですけど。
この解釈はわりと鳥の捨を観た時に、あーーーーーと思った。
鳥の捨之助は私の中で物凄く衝撃的だった。
それは髑髏党への行動が復讐に基づいてる、と感じる設定、お芝居だったからかもしれない。
信長様に纏わる色んなことを昇華しきれてないからこそ、それを終わらせることで本当の意味で「捨之助」として生きようとしてるのかな。


もう一つ、鳥髑髏でああそっか、と違和感が解消された設定というか、シーンがある。
信長様の最期に立ち会えなかった理由、焼かれる村を助けることを選んだ、捨之助の選択。
このシーンを見て、ああだから捨之助はそうなんだな、とハッとした。
蘭兵衛も天魔王も信長様にすごく縛られてるふたりだ。鳥の天魔王は信長様、というか名誉とか地位とかそういうもののように感じたけど。
でも、大筋としての二人は信長様に愛されたくて愛されたままの世界が続くことを願っていた存在だと思う。だからこそ、彼が居なくなった世界でうまく生きられなかったんだなあと思うし。そう思えば思うほど、お前は無界屋を作れたのにな蘭兵衛、と悲しくなるんだけど。
無界屋という、新しい大切なものを作っても信長様への愛がなくなるわけでも嘘になってしまうわけじゃないのにな。
でも、蘭兵衛自身がどこかで信長様がいない世界生きていけてしまう自分への嫌悪というか、ガッカリ感を抱えてたのかな、と無界屋惨殺のシーンの台詞を聞くたびに思う。でも、信長様はあなたのことが大切だからこそその幸せを祈ったんだよ・・・。天魔王から最期明かされる蘭兵衛への言葉が死ぬほどしんどい。
ある意味で、彼自身が信長様の蘭兵衛への祈りを手折ったんだよな、と月髑髏で思ってしまって必死にタオルで口元抑えた。そんなのってあんまりじゃないですか。幸せになれ、って願った思いを信長様を思うからこそ背くとか、も、ほんと、ほんと。
捨之助の今度は迷わず逝けよ、の言葉があまりに優しい。

でも、捨之助は「焼かれる村」を選んでしまったというか、選べてしまったんだ、ということが鳥髑髏への一番の感想だ。

狂ってしまうほど思いを蘭兵衛も天魔王も信長様へ抱えていて、そのふたりと一括りにしての信長様を支える三人、と思うと、捨之助のこの選択は異質だ。

きっと、蘭兵衛は迷いもしないだろう。自分の命よりも信長様が大切な彼は躊躇うことなく村を見捨てて信長様のもとへ走る。
でも、捨之助は村を選べてしまった。

誰に言われたわけじゃない、彼自身の選択ではあるけど、そうしたことの捨之助の絶望を思う。
選べてしまった、信長様以外を選んでしまった。
別にどちらがどう大切とかではなく。
信長様を思ってなかったわけでもない。し、きっと、彼がそういう人間だからこそあの三人の中に彼が居たんだと思うし、信長様は仕事を任せてたんだと思う。
どの表現や思い方が正しいとか一番偉い、なんてことあるはずないんだ。
だけど、こうありたいって自分と実際の自分の行動の結果とを見比べてガッカリして、でも後悔もしてなくて雁字搦めになった捨之助の時間を思わず想像してしまう、そんな鳥髑髏だった。だからこそ、彼は一度全部捨てなきゃいけなかったし、捨て切るための髑髏党討伐だったんじゃないか。


という、前提の感想を抱いたのが昨年の夏。
観た後何度も感想を書いては消し書いては消ししてきた。それはどれだけ言葉にしてもしっくり来なかったのもあるし、もう既に精密な感想もたくさんある作品でまとまってない文を書いてもなあと思ったのもある。
ただ、下弦の月を観て、もっかい衝撃を受けたので書かなきゃ!とスマホでぽちぽちし始めた次第だ。

ライビュで観た下弦の月
ツイートもしたけど、ステアラはライビュとか映像だととても観やすいですね。場転でどうしても(映像や役者さんの動きで補完されてたとしても)集中力が切れてしまった私は、映像だとスムーズに観れた。個人差の話なんですけど。
そんなわけで、かなりスムーズに観れたのもあったし、あと脚本もすごく分かりやすいアレンジがたくさんあって、とても好みだったんだと思う。
極楽太夫と霧丸の描写がその中でも私の中では大きな変化だった。

私の目には下弦の極楽太夫はお母さんに見えた。感想読んでたらすごく情深く恋をしてる人と捉えてる方もいて、千差万別感が面白いなあと思いました(感想)
お母さん、というか家族を作ろうとする人。懐に入れた人に愛情を惜しみなく注いでくれる人。
それは、霧丸への世話の焼き方もそうだけど、蘭兵衛とのやりとりでもそんな風に思って。
度々言うけど、私の中で愛情は注がれる以上に注ぐ人が救われることがあるっていう仮説があって、極楽太夫は自身もそう救われながら蘭兵衛のこともそうして救おうとしたんじゃないかなあ、と思う。
一緒に無界屋を作ってきた、と話す時のその表情や仕草にそんな優しいもし、を考えてしまう。
お母さんであってほしい一つの理由は兵庫のことが私がめちゃくちゃ好きってのもあるんですけど。なんか、いっつも蘭兵衛への極楽太夫の恋愛感情と仮定して見てるとあのラストシーンで切り替え早えな!ってなっちゃうんですよね。
だって、物凄い感情だったじゃないですか、蘭兵衛!!!!!って向かう時。あの鬼気迫るシーンめちゃくちゃ好きなんだけど。
だから、私としては家族、と解釈した方が後半のいろんなシーンをすとん、と受け入れられるのでそんな気持ちです。

そして、霧丸ですよ。
思わず終演後に捨之助子育て編じゃんって呟いてしまったアレですよ。その節は大変すいませんでした。

捨之助については前述の通りな気持ちを抱いてきて、
捨之助はこの冒険の後、生きてはいけるんだろう、と思いながらいまいち彼のその後が浮かばなかった。
お前のための城を作る!という沙霧の台詞もそれぞれのタイプで好きだったけど、でもやっぱりその城に住む捨之助がどうあっても浮かばなくて。

生きていけるということは、イコールで悲しんでないということでは当然なくて。
信長様以外を選べたことは信長様を思ってなかったことにもならない。これは最早サビですね。

どうやって彼は幸せになるんだろうか、といつもどこかハッピーエンドなのに寂しい気持ちがあって、七人がずっと一緒にいてくれたらな、でもそういうわけにもいかないよな、と悶々としていた。
その中で、月で生まれた霧丸という存在が、すごい。

復讐の為に手を汚すな、と言い続ける捨之助の姿は兄のようでも父のようでもあったと思う。
同時に、霧丸への気持ちはもしかしたらあったかもしれないifの解消なのかな、とか、自分や自分の大切な人を重ねてるのかな、と思った。

お前も、辛かったんだよなと霧丸が言った時心が震えた。

そーなんだよ。
捨之助もつらくて寂しくて悲しくて、もしかしたら、もう生きてたくなかったのかもしれない。
それは蘭兵衛もそうだし、もしかしたら、天魔王だってそうだったんじゃないか。それくらい、彼らにとって信長様は大きな存在だったんだと思う。
(そんな中、極のあらすじ読むと信長様って叫びそうになりますね)
ただ、捨之助はその気持ちをきちんと消化して認めてこれたのかって言ったらきっとそうじゃなくて、だって、捨てちゃってるわけですし。
平気だ、と言ってしまえる人だったことが悲しいし、その捨之助に辛かったんだろ、と言える人がいることも生きようとしてくれって言える人がいることも、しかもそれが、彼自身が助けた霧丸だったってことも、最高じゃないですか。

たぶん、捨之助は霧丸を守り続けると思う。
それは、愛情を注ぐことで救われていくことき他ならない。

髑髏城の七人は、みんな色んなものを喪う。もう生きていたくないくらいの絶望を味わうしそもそもスタートから失ってもがいてる。
だけど、それでも生きていけるんだ、そんなお芝居なのかもな、と思った下弦の月でした。

もう誰もひとりぼっちじゃない、そんな安堵感の中、とても幸せな気持ちでその日はお酒を飲みました。
髑髏城の七人、とても好きです。