えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

【雑記】お芝居とか魔法とか


キャガプシー初日を見た一週間後の、クレプト・キングの開演前のロビーにて、
観劇仲間の方とキャガプシーの話をしながら、末原さんって妖精っぽい、という話題で盛り上がった。
そしてふと「淳さんの魔法と末原さんの魔法は同じ魔法ではあるけど系統が違う」って話をしたので、
ちょっと文にしてまとめてみる。

常々、演劇は魔法だ、と言っているし高田淳さんは魔法使いだ、と公言しているわけだけど、
それを文にしているので読む場合は、だいぶ頭の中お花畑だなーくらいの気持ちで読んでください。お花畑です。


※いつも以上に好き勝手です
※個人の感覚の話です
※おおよそ妄想であり、事実に基づいてません
※演劇・演技について専門に勉強したことはないので、おかしなところはむしろある前提です

 


高田淳さんについて魔法使いだ!と言い出したのは2015年夏頃からなわけですが、
まずもう言わずと知れたスマートさが印象に残ったのがはじめ。
そして、気持ちいいタイミングで入る台詞!動き!余韻の残る表情!!
かつそれがただ「完璧」というに留まらずチャーミングだからこそ、魔法使いだと思うのです。
余韻というかゆとり感。
完璧だと研究家とかまた違うジョブになるよね。
あれです、イメージRPG錬金術師みたいな感じ。
天然由来の魔法じゃなくて、たぶんこの魔法はこんな意味があって、とか
これとこれを繋ぎあわせたらこうなって、って組み合わされて魔法になったようなイメージがある。
ひとつにはこれは高田さん自身が持つ知的さの印象が先んじて生まれたものだなぁと思うけど。
無から有への魔法というよりかは別のものへと変化させる魔法を使うのが淳さんだと思うのです。


対して、冒頭の話題にあがった末原さんは妖精よりな魔法のイメージ。
ゲームで言うと、淳さんの魔法はジョブ…戦士、司祭、の流れでの魔法使いだけど、末原さんはキャラクター属性としての魔法。


属性っていうか種族…。
なので同じパーティで組んだとしてもジョブが被らないね!(といっても私がそういうゲームしてたの随分前だしそんなにタイトルプレイしてないからわかんないけども)
一括りに魔法って言ってしまうと同じなんだけど、たぶん力の源とかが違う印象。
あの、はがれんで東洋と西洋の錬金術の違いを話すシーンがあるんですがそんなイメージでお読みいただくと分かりやすいと思います。
もっともっと突き詰めれば「お芝居という魔法」が根っこなので結局イコールなんだけど。
ああそうか、アプローチの方法が違うっていうと分かりやすいのかも。

末原さんの魔法は理論というか魔法それぞれの意味、というより単品での魔法。
呪文は使わない気がする。
呪文は使わないけど歌は使いそう(これ絶対作品のイメージに引っ張られてるけど!)
術式を描いて発動させるのが淳さんなら、歌って発動させるのが末原さん。
むしろ、発動させる感覚はあまりないのかもしれない。自然発動型。だから予測不能な感じがする。

ところで、お芝居の世界にはほかにもジョブもちの方がいて
重力使いとか、戦士とか格闘家とか(もちろん、お芝居としてのアクションの印象じゃなくてその人の演技から受ける印象の話
それはたぶんそれぞれがお芝居っていう魔法に対するアプローチが違うからなのかもしれない。

私が言い出した「魔法使い」という話は仕草などから受ける印象だったけど、
出る結論はお芝居が魔法だー!だし、それを根拠付けるいろんな要素がお芝居にあるのが面白い。
いやもう好きだなぁって話なんだけど。

同じ奇跡を起こすって現象に対していろんな起こし方があること。
なんかこれって素敵だなぁって文にして思いました。
オチはね、ないね!