えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ビジランテ

吐きそうになるくらい救われない気持ちもあったのに、なんだか妙に清々しいような気持ちになった気がする。

ビジランテ、観てきたよ!

まずはツイッターから引用のあらすじ。

ビジランテ
幼い頃に失踪した長男。市議会議員の次男。デリヘル店長の三男。別々の道、世界を生きてきた兄弟が、父親の死をきっかけに再会―。深く刻まれた、逃れられない運命は交錯し、欲望、野心がぶつかり合い、凄惨な方向へと向かっていく…。

 

画面から目を背けたくなるような「痛み」の描写の連続。
でも、それ以上に目を背けたくなるのは、閉塞感。常に、それが画面の、台詞の、物語の中にある。

地方都市の、あるいは独裁的な父親の。
その両方が絡みつき、嬲ってくる。
たくさん、痛みや閉塞感を象徴するシーンはあるけど、中でも私が一番ゾッとしたのは自警団の青年が三郎のバンにひたすら小声で、事故れ、事故れ、事故れ、と念じるシーンだ。
自警団の青年は痛みを知っても、人の死に鈍感だ。
火事を起こして誰かが死ぬかもしれないことも、殴り殺すかもしれない可能性もない。
痛みを理解してないわけでもない。
たぶん、もしかしたら、鈍感なわけでもないのかもしれない。

どーでもいいんだ。

繊細な描写も、執拗なまでの描写もあるのに、そしてそれらは全部リアルなのに、どこか感覚が遠い気がした。
後でふと思い出したのは、感情描写が物凄く削げ落とされてるんだなあ、ということなんだけど。
三郎くらいじゃないかな?人間の感情らしいものが描かれてるの。
二郎が思わず三郎を抱き締めたのも、ある意味では感情なんだけど、それを手放し突き放すことを思えば、あれは上げて叩き落とすためのものに思えて仕方ない。

感情や人情が追いつかない。
痛いから、可哀想だから、人として大切にしないといけない、三郎の言う「遺産とか、土地とか、そんなんよりもっと大切なものあるはずだろ」っていう、その大切なものがどんどんこぼれ落ちていく。
もっといえば、たぶん、それじゃあ、追いつかないし、受け止められないし、救えない。

所謂、地方都市の出身なのですが。

自警団の空気感とか、市議会のあの空気感とか、なんとなく覚えがある気がして。
いや、市議会には出たことないけど。
地方都市は、地方都市だけで成立するわけではないのに、なんだか妙にそこだけで完結してる。
そこがなくてもどうとでもなるのにそこでの終わりは完全な終了な気がする。
ギラついてて、でもどこか冷めてて、やっぱりここでも感覚が遠いんだ。


エグいなあ、と思ったのは三郎の店の女の子たちの描写だ。
どん底に決して落ちはしない彼女たち。だけど、私には彼女たちも感覚が遠い気がして。泣き叫びはするけど、どっか他人事。ゆっくり沈んでいく。
だけど、彼女たちが笑うことや、彼女たちを三郎が守ろうとすることが、無性にあたたかくて、それをあたたかく感じること含めて私には頭がくらくらした。それでは人は救えない。
もしかしたら、三郎はあの後、静かに息を引き取るのかもしれない。誰も救えないし、救われないまま。
兄弟の死の上にただひとり、二郎はああして生きていくのかもしれないし、街は何も変わらない。


でも、それもこれも、ただそこにあるだけだ。
どうしようもない痛みも、人の温もりも。
大袈裟に感傷的に解釈できない、圧倒的な事実として。