学生時代、部活の質疑応答で後悔したことはあるか、と聞かれたことがある。
絶賛反抗期だった私はない、と答えた。
なんとなく、この作品について考えるとき私はあの時の景色を思い出す。
そんなわけで、ボクラ団義さんのサヨナラノ唄を観てきたよ。
あらすじ
「後悔をやり直せ!タイムスリップバスツアー」
参加した乗客達を待ち構えていたのは 直後のバス転落事故!
死と引き換えに過去に存在する幽霊たちのただ見つめ続ける物語
「あなたの幸せを祈った振りをして明るく手を振った。あの時のサヨナラは、“いい”別れだったでしょうか?」
初演→再演と変わる中で、キャスティングも変わりシーンもいくつか変化があってどこか分かりやすくなっていたような印象を受けた。
個人的に、あみゅみゅパートで増えたエピソードが心に刺さりまくってわりと冒頭から泣いてた。
くりゅさんと空さんが音楽について話ししてるの本当に涙腺ブローカーだった。
本当に嬉しそうに歌うことについて、そしてファンについて話すのね。
そのシーンが、あの歌が届いてたんだ、ってのに繋がって、本当に思い出して打ちながらちょっと涙ぐんでる。
サヨナラノ唄はいくつかの後悔でお話が構成されている。
三角関係の拗れから友人を失った高校生たち
いろんな思惑が渦巻く厚生労働省チーム
医者とその妻の二組の夫婦(と息子)
最後の舞台を迎える歌手とその彼氏
人生最大の賭けにでたひとりのギャンブラー
それらが、命を捨て後悔をやり直すバスツアーを経ていくつか重なって、物語は進む。
その後悔の共通点はどれも命、に係わることだ。
失ってしまった友人、家族、赤ちゃん。
お芝居の冒頭、戸惑いながら街金社長と御数原さん(こんな字なんだ…!なんとなく大友さんに合う苗字でほっこりする)に導かれるままにバスに乗り込む乗客たち。
その姿に「誰かを失った」という影は見えない。
この言い方はへんかな。
でも、本当に、「普通の人」に見える。冗談をいい、喧嘩をし、怒り笑う。
大切な誰かを失った痛みに今まさに押しつぶされそうだったからこそ、あのバスツアーに乗ったはずなのに、彼らは普通にふるまっている。
なんとなくこれが刺さったのが、空さん緑川さんくりゅさんが演じていた「あみゅみゅパート」だ。
カップルに見えた彼らはバスツアーに乗っていた時点では、本当はすでに別れている。
本当はお互いまだ思いあっているのに、いやむしろ思いあっているからこそ、別れを告げた…LoveLetterの歌詞にならっていうなら「幸せを祈ったふりをして手を振った」…後だ。なんか、この事実が再演はよりつらく感じた。
たぶん、私の生活の中にもこの当たり前、はあふれている。
本当は笑うのも辛いくらい悲しい事実があったのに、ご飯を食べて笑ったり怒ったり普通の生活を送ってることがあるんだと思う。かなしい。
バスツアーの意味、それはひとつにはこの当たり前で隠してたことをそっと出してあげることだったんじゃないだろうか。
そんなことをラストの無声芝居に思った。
高校生チームの、来なかった告白とそれを見守る大人になった彼らが涙を流す姿に
痛みをこらえながらも「いい別れだった」と言い聞かせる美和子さんに
そして、泣きながらLoveLetterを歌うあみゅみゅと「鈴井亜美」にそんなことを思う。
言えなかったこと・できなかったこと、は果たせない。
それはこのタイムスリップバスツアーの特徴のひとつだ。
死者は生きてる人間に干渉できない。だからこそ、社長と御数原さんのアフターサービスがあるわけだけど、まぁ、あんまりツアー客の希望通りのアフターサービスは行われない。
だけど、本人の中で整理をつけることができる。
本当に大きな悲しみの前で泣けないまま日々の生活に揉まれてしまうことがあるけど、そうして生きてきた彼らに最後に泣くチャンスを与えてくれたのがあのバスツアーなんじゃないだろうか。
街金社長の
「だが、見ると少しは変わるだろう?客観的に見ることで少しは、何かが。…人は時に感情が高まると、冷静では考えられない行動をとる。後から考えるほどに後悔する」
「…だからこそ改めて見る。しかし意外とそんなところにこそ、自分の知らない救いは潜んでいるんだ」
のセリフが初演から好きだ。
このセリフがあるから、このお芝居は本当にやさしいと思う。
(そういえば、街金社長、再演でキャスト変わってしまうのか…とほんの少し残念な気持ちだったけど、実際の舞台を観て気持ちが払しょくされた。コミカルでちょっと人間味が増してて素敵だったし、すごく近くで見守ってくれる系の社長でなるほど素敵って気持ちだった)
それがぴったり当てはまるのは、やっぱり厚生労働省チームで。
東條さん(過去・未来ともに)が人間味を増していたからこそそれはより印象的だった。
なんというか、シーン的にも東條さんと時彦の後悔に的を絞られたような…。
と思うのは、時彦は十分ホームレス中、千春とのことは見つめなおしたのではないか(だから、バスツアーで見つめなおす必要があるのか?)というのが初演の時の疑問で。なんとなく傷口に消毒液ぬってちゃんと治療してるのに塩塗り込んでる、みたいな、そんなイメージがあったんだけど。
再演を見て、彼は東條さんと話す必要があったから、このバスに乗ったのか
とストンと腑に落ちた。
東條さんが時彦と話す必要があったのか、それとも時彦が東條さんと話す必要があったのか。おそらくは、その両方だろう。
ある意味、この二人の和解はご褒美的に今回は見えた。
ふたりの人間味が増してて、なんだろう、傷ついた・疲れたふたりに見えたから、
十分に罪を償って、苦しんだから神だかなんだかが気まぐれに起こしたご褒美。
千春さんが恋愛的要素よりも「正義」「信念」に重きをおいたお芝居になっていたのがその印象に一役買っていたように思う。
ふたりの信念とかってわりとぶれやすいというか、すごく猪突猛進な正義であり、信念で。だから失敗したってわけじゃないけど。でも、時彦の増えてたセリフ的にも彼は、視野が狭くなっていたからこそ嵌められてしまったんだろうし、東條さんはなんていうか、言わずもがなである。
そんな中、千春は凛とした面持ちで前を見据えていたからこそ、
自分が傷ついてもその気持ちを貫こうとしたらこそ、そのふたりが浮き彫りになっていたように思う。春原さん正義の人、似あう(今戻然り)
最後、会えてよかったと話すシーンは、初演から大好きだったけど、今回さらに好きになった。本当によかったと思った。悲しい苦しい後悔ばかりの人生じゃなくて、最後に少し救われたような。
いつぞや、後悔なんてしたことがないと嘯いた私ではあるけど、当然そんなことはなかったし、なんならそれからわりと後悔する選択を何度かしてしまい、正直バスツアーに乗ることになったらあの時を見つめなおすんだろうなっていう瞬間が思い至ってしまった(たぶんその時は、ちゃんと謝ったりするんだと思う)
だけど、それはそれでいいことだと思う。後悔しないことが、肝心なわけじゃない。
梅屋敷さんとかすみの賭けのシーンを見てそんなことを思う。
あの勢いのある、そして楽しそうなふたり!最高!!
どちらかというと、初演ではギャグパートだった梅屋敷さん。
だけど再演ではやさしい印象が増した。それは、過去のふたりを見つめる下下さんの優しいまなざしがあってこそだろう。
いつ死んじゃうか分からないからこそ、人生なんて一か八か。
後悔しただのなんだのとうだうだしている場合はないし、況して、後悔するかもなんて悩むなんて愚の骨頂、と笑い飛ばしてくれるようなさわやかさが、梅屋敷さんたちにはあったし、それがなんだか素敵なことのように感じる、そうなりたいと思える雰囲気が未来の(といっても10日後か)梅屋敷さんにはあった。
いい別れだった、と言い聞かせるその裏で、泣いてしまうような気持ちがあるのかもしれない。
だけど、できたらそれが少しでも減るように精一杯伝えられることは伝えたい。いつ、伝えられなくなるかも分からないからこそ。伝えて、後悔するとしても。
たとえ、後悔したとしても「あれはあれでよかった」と言い聞かせたい。
それはただの嘘ではなくて、優しい嘘だと思うのだ。