えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

ビョードロ〜月色の森に抱きよせて〜

観劇三昧さんで、おぼんろさんの配信作品が増えた!
ので、喜び勇んで観て参りました。
やっぱり、出掛けてる時に手のひらサイズでお芝居観れるの有難い・・・。

ビョードロ
~月色の森に抱きよせて〜

僕を感じて。
僕に触って。
僕に笑って。


だけど絶対、僕には近寄らないで。

愛に憧れながら、
絶対にそれを手に入れてしまいたくない。

どうしたらいいのかわからない。

誰かに触れて欲しい、感じて欲しい。

愛されたい。

でも、近寄ってほしくない。


白くガラスのような木が生える鬱蒼とした森の奥底。
そこに住まうビョードロという名の民。
彼らの使命とは。

 

おぼんろが全身全霊をかけて紡ぐ、
美しくも切ない物語。

 

パダラマ・ジュグラマ、ルドベルの両翼、ヴルルの島と観て、今回で四作品目。
相変わらず、心地よく物語に入っていける前説から、物語は始まってる。
ツイートもしたけど、想像力の話を聞くお客さんの顔のなんと幸せそうなことか!
でもほんと、想像力は、人間の持ちうる一番幸せで最強の力だと思う。


その能力から忌み嫌われているビョードロのタクモ、その中でもハーフ、と異端扱いされたユスカ、そんな彼らと仲良くするリペンに、その父親ジュペン、そして、タクモとユスカが生み出した物語の中心、ジョウキゲン。
中心、と言ってしまったけど、これも末原さんの前説にある「あなたにとっての前が前」と同じことかもしれない。
私にとっての、ビョードロ、の中心は、ジョウキゲン。


ビョードロがその血を使い生み出すことができるクグルという生物兵器
それを利用しようとする、ビョードロを忌み嫌う民族であるジュペン。
タクモと、ユスカ、それにリペンはそんな中にぐるぐると巻き込まれていく。


美しい舞台美術と、素朴でどこまでも深く沈むような語り部さんたちのお芝居がともかく堪らない。

タクモ、ユスカ、リペンは仲の良い子どもたちだ。子どもだから、子ども、と言っても青年なのだけど、民族の違いなんて関係なく遊び、笑う。時に無邪気に、その違いを口にしながらも笑い合う三人は、ともかく観てて微笑んでしまうくらい可愛らしい。
おぼんろさんのお芝居は、どの作品も表情が印象的だ。
彫刻のようで、一枚の美しい絵のようで。でも、人間の表情だからこそ美しいんだと見るたびに思う。
その顔が翳っていくからこそ、余計に物語がころころと悲劇に落ちていくのが悲しい。

そして、そんな中で際立つのがジュペンだ。
じゅんぺいさん、今まで見た役の印象もあるんだけど、末原さんや倫平さんが子どもの無邪気さを演じた時のきらきらが魅力だとしたら、じゅんぺいさんはその歳を重ねて背負ってしまった曲がってしまった凝り固まってしまった哀愁を演じたらもうとびきりだと思う!ほんとに!
金と名誉の欲に溺れ、子どもと自分に執着し、ユスカの真っ白な思いを平気で踏み躙ってしまうその傲慢さ。
カサカサとした感触を、そのお芝居を観てたら触れた気持ちになる。
そして、なんならほんの少し、その気持ちに寄り添ってしまって悲しくなる。
タクモたちが、あんまり真っ直ぐで眩しいからなとなこと。
ファンタジーの世界だからこそ、余計に、あのカサカサが悲しい。そして、憎みきれない。
末原さんの描く世界は、まるで夢のようで、優しくて、なのに時々ゾッとするほど冷たい側面がある。
それを特に背負っているジュペンが、大切なものを傷付ける罪を重ねるシーンの、あの苦しさったらない。


夢のような、といえば。
登場人物が見てる夢のシーンの優しくて切ないあの空気感がとても好きだ。
今回のタクモの脳内パラダイス然り、ヴルルの島のアゲタガリの夢然り。
物語によくある、とびきりの、「物語の中の物語」のことをふと思った。
登場人物たちが触れる、劇中劇というか、
彼らの運命や心に大きな影響を及ぼす、絵とか、作品とか、音楽とか、物語とか。
そういうキーワードって、あると思うんだけど(文章で説明すると難しいぞ!伝わって!物語、がゲシュタルト崩壊する!)
その、とびきり、は得てして、想像して補うことが多い。
それをきっかけにこんな風に変わったから救われたから、きっとそれはこんなだろう、と形作らないまま、想像する、そんな宝物みたいなとびきり、が良く物語には出てくると思う。
タクモの、脳内パラダイスは、まさしくそんなとびきり、なんじゃないだろうか。
あのきらきらした笑顔も、みんながいて、みんなで楽しそうなのも。
あーこれはとびきりだ、と思って涙が滲んだ。おぼんろさんの、語り部さんたちの笑顔は本当にズルイ。あんなに真っ直ぐ楽しそうに笑われたら泣いてしまう。笑顔みて、涙腺緩むってのもなんか、しみじみしてしまうけど。


そんで、ジョウキゲンです。
もう、本当にジョウキゲンが大好きで仕方ないんだけど。
生まれた瞬間に、悲しい役目を背負ってるジョウキゲン。触れるだけで、生き物を殺してしまう神様に呪われた悪魔。
なんだけど、生まれた瞬間、それはもう嬉しそうにくるくるとみんなの顔を見回すそのすがたがほんとに可愛くて愛おしくて。
背負った役目とは裏腹に、無邪気で、優しい子なのが本当に辛い。
めぐみさんの、浮世離れした雰囲気も相まって、純粋でまるで天使のように見えた。
そのバランスが、実験や仕事を繰り返していくうち、壊れていくのが悲しい。
彼女(彼?)は変わらない。変わらないまま無邪気に、でもタネ、にしてしまう。花としていつか咲くと信じて、殺してしまう。
タクモとのやりとりのシーンはどこもとても好きなんだけど、頼りないタクモが、大切なユスカと生み出したジョウキゲンと話す姿はまるで親のようで、願い事を話すところは涙が滲んだ。


おぼんろさんの物語には、幸せになりたい・幸せにしたいと願う人たちが出てくる。その姿は真っ直ぐで、真っ直ぐなはずなのに気付けばそれそれが背負ったり背負わせたものがその姿を捻じ曲げていってしまう。
笑う彼らは、まるで子どもみたいで、だからこそ、傷付いた姿は観客の心にも深く深く、刺さる。
途中、どうすればここから全員が幸せになれるか考えながら観ていた。
祈るような気持ちだった。祈るようだったのは、たぶん、それが途方も無い夢だと知っていたからだと思う。

最後の泣いてるようなジョウキゲンの声を、必死にジョウキゲンに近付こうとしたタクモの心を、忘れなければ或いは、それが途方も無い夢から、手を伸ばし続ければ触れられる夢に変わるだろうか。
可愛らしいアニメーションをぼんやりと眺めながら、そんなことを思っていた。