えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

→オハヨウ夢見モグラ

長くなってしまったので死ねない男は棺桶で二度寝する、と感想を分けて投稿した。したけど、個人的には私はこの二本を一つ、として捉えてる。
というか、そう考えると更に楽しいと思う。興味深い。
それは、短編の中で、あるいはそれらを纏めるモグラの見た夢の中のキーワードたちが、死ねない男は棺桶で二度寝する、を思い出す時、共鳴するような気がするからだ。これは、死ねない男は棺桶で二度寝する、の感想の中でも少し書いた。分かりやすく言えば、共通のテーマのことだ。
だけど、もっと好き勝手に深読みするなら、たとえば一郎が人魚の肉を食べるシーンの真意を言葉では説明しなかったような、そういう語られず示された言葉に触れる手掛かりになる気がするのだ。
その作用は双方にある。


ともあれ、まずは、オハヨウ夢見モグラの感想。

短編集、全体のあらすじはこちら。
「オハヨウ夢見モグラ」
ミケランジェロは言った。『私は作品を彫るのではない。石の中に埋まっている彫刻を取り出すのだ』~
幼少期の事故が原因で、365日のうち、たった1日しか起きることが出来なくなった男がいた。
事故から15年が経った今でも、彼にとってはたった2週間しか経っていないのと同じ。その精神状態は依然として少年のままだった。
そんなある日、彼は「夢の中で思いついた」という物語を次々と語り出す。だがその内容は、およそ少年の頭脳で考えたとは思えない程に複雑怪奇で、時に奇妙奇天烈で、そして時に学術的な命題を抱えていた・・・。
「・・・彼の中には物語が埋まっている。ミケランジェロの前の石と同じだ」
365分の1に濃縮された人生を送ることになった男が語る、様々なジャンルのストーリーを綴る珠玉の短篇集。


きみはぼくのやさしいともだち
このお芝居の野口さんにただただ痺れた。そしてそれに呼応する加藤さんという、もう、極上感がある一本。
ようやくぼくたちは、ともだちになれたらしい、というシーンのゾッとするような哀しみと美しさと。
今回の二本立ては、時折この、ゾッとする哀しみと美しさに巡り合う。

このお話の中で、私は「友人とは、価値観を共有するひと」ということが印象に残った。

無音はお前の耳にも届いている
ひたすらに怖かったこのお芝居。もうずっと顔引きつってた。
ほたてひもさんの、あの、背中で話を聞いてる時の表情。本気で夢に見ると思った。
マスターも含めて、分かりにくい狂気を感じる。いや、ストレートな狂気でもあるんだけど。
後半の展開にもゾッとしたけど、興味深かったのはマスターと話す音の仮定の話だ。存在は、それを受信する人がいて初めて存在たり得る。

きみはぼくのやさしいともだち、でのキーワードもそうなんだけど、
どうしても死ねない男は棺桶で二度寝する、の六郎のことを考えてしまうわけで。
(劇中でも、彼がいかに魅力的な人物だったか、大島や総理が口にしてたけど、ほんとそう!人たらしというか、つい彼のことを考えてしまうくらい魅力的なひとだ!)
記憶から消えてしまう彼は価値観の共有ができなくなる。というよりも、彼、という存在の共有ができない。
認識する人がいなければ、存在がない、ということは、六郎はそのまま、存在しない、になってしまうのか。
死ねない男は棺桶で二度寝する→オハヨウ夢見モグラの順で観劇すると、その辺りがぞわぞわして、この無音や、ともだち、の話の恐ろしさが増すような気がする。


いつでもいつもホンキで生きてるこいつたちがいる
もうキレッキレだ。
ゾッとした後にこの話はずるい。
キレッキレだ。
黄色いあいつずるいし、設定が色々とずるい。設定だけで笑う。
コンプライアンスシーンの意味のわからないスピード感の心地よさったら!
笑えばいいのか、泣けばいいのか分からない黄色いあいつとのお別れのシーンも大好きでした。
ポケ○ン世代にはたまらない。

ただ、ラスト、気持ち悪いと言われながら幸せな夢の中で死ぬ彼を眠り続けるみつおが見てることに、なんとも言えない気持ちになるんだけど。これは、深読みだろうか。

黒豆
楽しかったー!黒豆はもう、ほんと、ずっと観たかった作品なので、最高だった。
テンポの良さと、こてこてなお芝居!
最高と言わずしてなんと言うのか。
オカマバーでのやり取りとか、もう、ほんと、もうブラッキーちゃんかわいい。
そして、赤カブトさんを全力で堪能できるすごく私得な作品でした。
散々笑ったんだけど、ラストのふたりのキスに優しくて幸せな気持ちになった。
なんだろう、あの不思議な気持ち。
唯一穏やかに見れた作品だった笑
好きです、黒豆。人気な理由がよく分かった。あれは楽しい。

じかんをまきもどす
無音に続いて個人的にめちゃくちゃ怖かった作品。
何が起きたの?ってぞわぞわしてた。
巻き戻した時間はなんだったんだろう。
フォロワーさんも言ってたけど、もう一度ボタンを押せば、って押せるはずないんだよね。
あの時間はどこまで戻り続けるんだろう。
そもそも、戻り続けた場合行き着く先はどこなのか。
その後のモグラの見た夢(みつおパート)で、一気にみつおが老けこんでいた(もちろん、それまでにもその兆候はあったんだけど)ひとりぼっちになっていたことを思うと、時間は巻き戻ったのか、一気に進んだのか、みたいな気持ちにもなる。
この一本に関しては感想を書けば書くほどつかみどころがなくなる気がするなあ。


そして、モグラの見た夢、である。
穏やかで優しくて悲しい、みつおとその家族の話。
彼が起きるたった1日を待つ家族や友人の、それ以外の364日を思う。
幼馴染は結婚し、妹も家をでる。
周りの友人たちは、普通に就職して自立する。
あの、お母さんと主婦2人の会話が苦しくて。
たぶん、あれがあの家族の抱える現実なんだろうなあ。
それでも、笑顔で明るくみつおが起きる1日を待つ。
あの笑顔に全く嘘がなくて、それが、尚更心に沁みた。

「お前は豊かな人生を送ってるよ」
パンフがいま手元にないので、ニュアンスになってしまうのが悔しいけど、あの台詞が本当に好きだった。吹原さんの書くあのシンプルで真っ直ぐな台詞の魅力爆発の台詞だった。
嘘でも慰めでもなく、本当にみつおの人生を肯定したお父さん。

死ねない男は棺桶で二度寝する、を見た時、死ぬことは希望なんじゃないか、と思った。
六郎も、モグラのみつおも。
当たり前の平凡な人生とは到底言えない人生を送った。モグラが見た夢の中の人物たちの中にも、そんな人たちがいる。
ずっと幸せというのも、ずっと大切な人と一緒にいることはできない。
みつおを見守りながら現実の中で生きてた高橋さん演じるお母さんの悲しそうな顔も忘れられない。
だけど、豊かな人生、っていう言葉は、優しかった。

ラストシーン、みつおは物語の中でお母さんに約束していたバースディカードを送り、また物語を語り出す。
その場には、六郎がいて、独りぼっちのブルースレッドフィールドのナップサックさんがいる。
うまく言葉にできないけど、あのワンシーンを見た時、死ぬことは希望なんじゃないか、という救いようもない気持ちが軽くなった気がした。
ノンちゃんと別れたくない、と泣いた六郎はまた孤独にいつか戻るだろうし、
みつおがみつおとして過ごした時間はあまりに少なくて、そして置いていかれてしまったけど、
たくさんの物語と出逢ってともにあったみつおの人生は豊かだ。
それに、生きることはなんとなく幸せなんじゃないか、と最後笑うみつおと六郎を見て思ったのだ。
それは、うまく理屈では説明できない気持ちだけど、確かに残った観後感だ。
なんとか、説明できないかと、考え続けてみたけどうまくいかなかった!
ただ、言葉として出てこなくてもそんな風に考え続けた時間がひたすらに楽しかったので、改めてオハヨウ夢見モグラが、そして死ねない男は棺桶で二度寝する、が好きだった、と思うのである。