えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

独りぼっちのブルース・レッドフィールド

2月なので、独りぼっちのブルース・レッドフィールドが観たくなった。
なんかこういうの、幸せだな、と思う。観た季節とくっついて覚えてるってとても幸せ。

 

 

あらすじはこちら。
西部で一番銃に嫌われたガンマンの物語。
ブルース・レッドフィールドは復讐に燃えるガンマンだ。
25年前に最愛の家族を殺され、その犯人を探し続けている。
待ち焦がれている瞬間の為に、銃の腕前も磨いた。
馬術も磨いた。信頼の置けるサボテンの相棒も見つけた。
だが、彼には一つだけ弱点があった。
それは25年前の惨劇で頭を強く打ったせいで、
至近距離で銃声を聞くと、記憶が25年前に戻ってしまう記憶障害を患っているということだ。
「必ず見つけ出して、頭を一撃で撃ち抜いてやる。
俺に二発目は無いのだからな」
25年分の日記を抱え、今日もブルースは引き金を引く。
一発一発、自分を失いながら───────。

銃を抜くのが早いだけで誰もがスターになれた不条理な時代の、
明日誰かに話したくなる復讐劇。
ポップンマッシュルームチキン野郎、渾身の最新作。

 

 

ポップンマッシュルームチキン野郎さんのあらすじ、ほんと好き。
だし、上演当時からこの、明日誰かに話したくなるという言葉が好きで好きでたまらない。まさしくー!すぎるし、実際、生で観た時、ふらふら会場から出た帰り道、実家に電話した。

 

ともかく好きなところの多いお芝居なんだけど、絞って書く。

 

 

これは復讐劇だ。

 

途中、相変わらず魅力的な登場人物やキレのある台詞に笑ったりうるっときたりするけど、これは、復讐劇だ。
家族を失ったガンマンの。
そして、本当はそのガンマンに家族を奪われたインディアンの世にも残酷な復讐劇だ。

 

真相が分かった時、ぞっとする。
自らの手で家族を殺させるという復讐。
この恐ろしさは、あの家族を失った、日記の偽の記憶のブルースが更に引き立ててる。もうあのシーンめちゃくちゃ怖い。
ほんとに、死んでしまった、と思う。
家族が仲間が目の前で奪われ、自分もその銃先に晒される恐怖が役者さんのお芝居で突きつけられる。もうほんとに怖いし悲しい。わりと、DVDでは目を逸らしつつ観たくなる。生でも、あんまり直視は出来なかった気がする。

それが、嘘の記憶、というのもエグいし(しかもブルースはその記憶障害から何度もその記憶をなぞらないといけない。これも物凄く残酷で凄惨だと思う。
それくらい大事なひとたちをブルースは気付かないうちに殺していった。

 

すごいな、と思うのが。
日記の偽の記憶のシーン。
観客は違和感に気づいてもいいはずなんだ。

 

ブルースの本当の記憶のラスト(インディアンの女の人を殺したところ)を観客はかなり早い段階で目撃する。
のに、のに!
初見では、ブルースが家族をビルバゼットによって奪われるシーンをあたかも本当であるかのように受け入れちゃうのだ!違和感は覚えても、わりとそのまま!!
もう!ほんと!吹原さんー!!!って叫ぶ。
特にお芝居では全部が描かれることはなくて、行間読みみたいに出来事と出来事の間を補完することがあると思うし、それがまた楽しさのひとつなんだけど、
これに関しては完全にヤラレタ!と思った。
あーだから受け入れちゃったんだ!と気付いた時にいっそ清々しかった。うーむ!
お芝居だからこそ!の楽しさでまんまとミスリードに引っかかったのだ。

 


もうひとつ、このお芝居で印象的なのはヌータウを追う旅の描き方だ。
きっとそこにも多くの思いがあって出来事があった。そこで友だって喪ってる。
だけどそれを言葉ではなくただただ無言で描く。まるで、ダイジェストみたいに。

 

だけど、私たちはその間を読む。役者さんの表情で。ヌータウのもとに辿り着いたブルースから。
あの最後の場所に辿り着いたブルースは、確かに、その数十年を経た男の人だった。

 

お芝居は制限があるから余計無限に描けるって昔何かで読んだけど、そんなことを思い出すお芝居だ。

 

ヌータウが言う。
分からなくなった、と。
どちらが正しいのか。善人なのか。
家族を喪う痛みは冒頭、痛いほど描かれてる。
だから余計、戸惑った。
許せるはずがない。
生きるためだった、が言い訳だとブルースが言う。だって、そりゃ、そうだ。
どんな理由があれば、殺されても仕方なかったって納得できるだろう。

なんだけど。

 

ブルースは、空に向かって、銃を撃つ。


このラストは想像してなかった。
想像してなかったけど、空に向かって撃つブルースの、友達だ、と絞り出すように言ったヌータウの気持ちを、想像することはできた。
想像というより、触れた気がした。
そこに至る行間を読みたいと思ったし、読んだ、と思った。


この結末が、心にストンと落ちるお芝居だということが嬉しい。
それは、そこまでの役者さんの姿が行間を私たちに読ませてくれたからだ。
そして、そんな行間だったことが本当に嬉しい。
ひとは、どうしようもないほどの憎しみを越えて、手を伸ばせる。
そう、想像力が限界を迎えず、思えたことが嬉しい。

たまらなく、悲しくて優しい話だからこそ、
そしてそれは全て、ただ大事なひとのまえで、善人でいたいと願ったシンプルで切実な願いが始まりだったという、もう、その美しさが
このお芝居の話を誰かにしたくなる、1番の理由だったと思うのだ。

そして、話したくなったので、思わずブログを書いてしまったのでした。