えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

ロストマンブルース

2016年の観劇納めだった。

去年・一昨年と上演されてる作品で人気もある、ロストマンブルース。
私にとってもロストマンブルースは、思い入れのある作品である。

あらすじはこちら(見つけられなかったので、2015年版のものを引用


無くなるライブハウス
集まった無くした人たち
間もなく無くなるライブハウスに訪れたとある中年のバンドマン
思い出深いその地に時を同じくして訪れた
同じく思い出深い筈の人間達は
皆一様に何かを無くしてしまっていた

 

久保田さんの作品である、どんでん返しで物語は大きく変わっていく。
ライブハウスをなくさないために必死だった男・朝倉こそ、本当に大切な記憶をなくしてしまっていて、
他の集まった人が、それをなんとか取り戻そうとする話だ。

二度目目線、という言葉が話題になった。一度目は妙な違和感しか残らない序盤の会話や視線、不自然な対応が実は全て意味があったという仕掛けである。
もうね、2015年版をアホほど観ていたので、初見が最早二度目目線。しかも無駄に思い入れがあるもんだから、わりと最初から号泣。

思い入れがあったのは、これがライブハウスの話だからだ。
といっても、私は音楽を嗜んだことがない。
だけど、私にはこの劇中語られる音楽への言葉がそのままお芝居に置き換えられるような気がしてならない。
音楽にそんな力があるなら、誰も音楽をやめませんよ。
序盤でシェリーをなんで諦めるんだと主人公朝倉に詰られたオーナーが叫ぶ。
これは、2015年版から好きだった台詞。
なんども頷いて頷きながらすごく悲しくなっていた台詞だった。
2015年版は佐藤修幸さんが演じていた。演劇がただ好きなんです、と度々語る佐藤さんが言うこの言葉が本当に好きで。役の頼りない感じと切実さがすごくいいバランスだったと思う。

ところで、再演ものあるあるだと思っているんだけど、思い入れのある作品の別バージョン(同団体、他団体含め)を見るのって個人的にはすごく怖いことだ。
作品のクオリティ以前に「自分の観たあれと違う」と頭が勝手に判断して拒否しちゃうことがあるからだ。
台詞を覚えちゃうくらい観てしまっている作品のともなると、緊張感がすごい。
なので、あえて観ないことを選ぶこともある。お芝居を観る時はできればその作品に対してだけ誠実に向き合いたいからだ。
ただ、わりと今回は安心して観に行けた。
それは今回、観るのが初めてのキャストさんも多い中で、観たことがあるキャストの方々が、役を自分のものに落とし込むタイプの人が多い、と思ったからだ。
ダブルキャスト、とかもそうなんだけど。
同じ役でも、演じる人が変わればそれは全くの別人になる。
私はそこにお芝居っていいなあと最高にわくわくする。
今回、出演していた、何度も拝見した役者さんたちは、みんなそんなお芝居っていいなあとわくわくさせてくれる素敵な人たちばかりだ。

オーナーを演じた図師さんもそうだった。
コミカルな演技と自然な台詞。そして、それが高まって、感情的に叫ぶシーン。一気にこのオーナーも大好きになった。
特に図師さんのお芝居で、私が好きなのが楽しいことを一生懸命話すというものだ。今回だと、真実を知った朝倉に、シェリーの由来を話すシーン。
それはもう、楽しそうに話す。まるで少年みたいなその顔が、本当に素敵だった。


そして今回幸せだったのは、初めましての役者さんもまた、魅力的だったことだ。
年齢差の大きな役を見事に演じた、玉川さん。歌声と迫力がたまらなかった若林さん。
このふたりは、朝倉の娘さん役だ。
自分の父親が物心ついた時には記憶障害を持っていて、自分たちのことすらはっきり認識してくれないってどういうことなんだろう。
この二人のお芝居は、ふとそんなことを考えさせてくれた。
もう、ともかく可愛らしい。可愛らしいのに、エネルギッシュ。それが、より、ああこの人たちは朝倉さんの娘なんだな、と思わせてくれて、かつ、その必死な叫びがこの家族が失い続けたものを思わせた。
朝倉と、妻として対峙する玉川さんの耐える横顔は耐える痛みがあって(Twitterでも呟いたけど、本当に玉川さんは誰かのお芝居を受けての所作や表情がめちゃくちゃ魅力的だった。すき。
シェリーという歌手として、歌について話す若林さんの目は色んな気持ちが詰まってて。そして、歌声が本当に。素晴らしかった。ただうまいんじゃなくて、冬子さんがいかにロストマンブルースっていう曲やファッキンピーポーというバンドが好きで尊敬しているかが伝わるいい曲だった。
そして、本当の奥さんであるさくら、と名乗っていた椎名さん演じる晴海さん。
序盤、何も知らない朝倉が他の面々と話すのを聞いているときの表情。堪え切れなくなって流す涙。
やーもう、泣いた。

そういえば、今回、わりと分かりやすく違和感、が描かれていた気がする。
晴海さんの悲しみら岡林さんの誤魔化し方とか。私が単純に二度目目線が初見(ややこしい)だったから、とかではなく。わりと、あざとく、多分、最初から彼女たちを観てたら真相には気付きやすそうというか。親切設計。
それはさておき。

たったひとりで、家族を支えていた晴海さん。もう、ひたすらいい人である。
記憶障害はともかく、そうなる前も、お世辞にもいい旦那さんではない。お世辞にも、っていうか、いい旦那さんではない。
事故の日、関係を考えたい、と切り出しはしてたけどそれでもよく耐えたと思う。
ただ、それをただいい人、というのは少し違うのかなと思うのが、晴海さんがひとり、サスの下で気持ちを語るシーン。
ミュージシャン、と朝倉のことを言う。それで稼げてはほとんどいなかったけど、それを含めて、ミュージシャン、と。
朝倉はライブハウスにほとんど晴海さんを連れて来なかったそうなので、演奏してるところをどれだけ彼女に見せていたかは分からない。分からないけど、たぶん、演奏を見なくても、彼女は朝倉にとっての音楽がどれくらい大切か、どんな風に彼を形作ってるのか本当に理解していたんだと思う。
そして、そんな朝倉のことを愛してたんだと思う。
だから、気持ちを語るとき、笑ってたんだろうか、と私は思う。

そして、この朝倉家のこれまでを思うと、バーテンの修一さんが幸せの象徴に思える。
今回演じた細井さんは役者が本業ではないそうだが、これが、また良かった。もう最高だった。
台詞を話す姿が、誠実そのものだったからだ。
こなれた感じではなく、一言一言、大切に話す。それは、修一さんらしかった。
だって、相手は自分の大切なひとのお父さんで。
しかも記憶障害を持ってて自分や彼女のことを理解してくれない、と分かってても会いたいと言っていた修一さんだ。
朝倉さんとバーカウンターで話す姿に心があたたかくなった。あの小さなやり取りは今回、お気に入りのひとつだ(DVDにも映ってるといいなあ)

さて、空気を柔らかくしてくれていたといえば、萩原さんと舘内さんコンビだ。
もうこのふたりには素直に楽しく笑わせてもらった。そして和んだ。
舘内さんの不思議な力強さ。坊ちゃんに負けないグイグイ感。それに納得いかないような萩原さんの表情。
たぶん、この二人がいなかったら私は泣きすぎて色々大変なことになってた。感謝です。
ピアノ演奏してる坊ちゃんと、指揮をする守子さん、可愛かったなあ。


入り組んだ話を綺麗に引っ張っていってくれた、青柳さん演じる上條さんも素敵だった。精神科医の役で、台詞も多い。
でも聞き取りやすく、そして朝倉さんに負けない力があった。
娘さん組が炎のような強さだったのに対して、上條さんは静かな強さだ。
記憶を取り戻す作業は、あの場の人々にとって辛い作業に違いない。実際、何度もみんな、耐えるような顔をする。
だけど、上條さんが、それを立ち止まらせない。何故なら、記憶を取り戻さなければ、ずっと彼らは悲しいところにいなくてはいけないからだ。
その力強さがあって、とても素敵だった。

朝倉家の悲しさはもちろんだけど、2015年版の頃から観るたび、感情移入ではなく心をぎゅっと締め付けてきたのが戸越銀座夫婦だ。
事故で亡くなったバンドメンバー廣瀬に似てるという理由で参加する夫とそもそも事故の原因になった女性の娘である妻。
つまりは、この件においては、加害者だ。言葉を選ばないなら。
事故から何年後にこの治療が始まったのかは劇中描かれない。だけど、そもそも事故から20年経ってる。その間、ずっと、朝倉さんたちに関わってきた彼女と、それを支えていた旦那さん。
岡林さんが言う。散々話し合った、と。
つまり、と思う。つまり、気持ちの整理が(いまだって、本当に整理がついた、とはいえないだろう)つくまえ、詰られることだってあったんじゃないか。なかったとしても、朝倉さんや廣瀬さん、服部さんという事故の被害者やその関係者にあうのはどれくらい勇気のいることなんだろう。
それでも、彼女が目を逸らさず悲しむ姿に、この20数年を思わされたりして。
あと、個人的に添田さんの女性を守る所作って優しくて綺麗で好きです。
今回のお芝居、添えられる手や目線が魅力的なひとが本当に多かったなあ。


さて、最後に書きたいのがファッキンピーポーのことだ。そして誰より、朝倉一義のことだ。
元々淳さんのお芝居が好きだ、というのもある。あるんだけど、今回ともかく魅力的な岡林さんだった。
バンドや音楽がどうでも良くなったのか、と朝倉さんに詰られるがそんなことない、とその朝倉さんを見守る目線に思った。
し、音楽を辞めた、といいながらベースはしっかり弾けることに、好きで手放したんじゃないという言葉に、彼のこれまでや朝倉さん、ファッキンピーポーへの気持ちが溢れてて、もう、観ててそらぁもう、泣いた。
ギターボーカルをしてた男はもう昔の彼ではなく、ドラムのメンバーは亡くなっていて。彼にとってのあの事故は、晴海さんたち家族とはまた違った苦味というか、苦しみがあったと思う。あんまり考えると、ほんと、いまだに泣く。

そうして、ここまで書いて、本当に朝倉一義という男がいかにみんなにとって大切で、愛されている男か、実感する。
そして、そんな彼が私も大好きだと思う。
それは2015年版からそうだった。朝倉さんの言うことは無茶苦茶だ。現実を見ろと思うし、奥さんのこと考えてやれよとも思う。だけど同時に、一生現実なんて見てくれるな、とも思う。それは、シェリーに集まる人々や、私たち観客の一種、そうありたかった姿だからだと、思うのだ。そして、それはあながち私の感傷でもないんじゃないか、と晴海さんの笑顔や岡林さんの目を思い出して、思う。
で、それを、あの夢麻呂さんが演じたということが本当に何回言っても足りないほど、最高なんだ。
夢麻呂さんは本当に熱い。ツイッターを見てて、お芝居を共演者やスタッフさん、そして観客をどれくらい愛してるかが伝わってくる。
それと、お芝居の中の朝倉一義が重なって、リアルになる。
もう、お芝居の醍醐味が極まった、と言いたい。大好きな朝倉一義を演じてくださり、ありがとうございます、が終わった瞬間の気持ちだった。

朝倉一義が一種理想だ、って書いたけれど、
夢麻呂さんはそれを理想じゃなく、現実にする力がある。
最後まで、シェリーを満員にしようと、それこそ本当に心身を削って向き合う姿に、
改めて、ロストマンブルースを大切に想う人間として、お礼が言いたい。

発表当初から、チケット代の件などで、物議をかもしてきた。
もう、それについては野暮だし、私の書く範疇ではない気がするので割愛する。
いろんな人のいろんな想いや事情がある。
ただ、あの人たちのお芝居が、ひとりでも多くの人に届きますように、と思った。
そして、そんないろんなものを巻き込んで、駆け抜けた夢麻呂さんたちのお芝居をいろんなことがあった今年の締めに観ることができたのは、とても幸せな事実である。