えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

キネマと恋人

キネマと恋人を観てきた。
フォロワーさんに勧めてもらってこのお芝居に出逢えた、まずもう、それがなんともこのお芝居に合ってて、最高に幸せなことだと思う。ハッピー!

公演概要

世田谷パブリックシアターが、KERAとタッグを組んでお届けするのは、シアタートラムの小さな空間での、ひとつひとつを大切に紡ぐ、手作り感覚いっぱいの作品。『キネマと恋人』は、ウディ・アレン監督の映画「カイロの紫のバラ」にインスパイアされた舞台である。設定を日本の架空の港町に置き換えて、もう少しだけややこしい展開にすると――。
映画への愛あふれる、ロマンティックでファンタジックなコメディが、息づきはじめる。


ほとんど前情報なしで見ることにした。
映画好きの女性がでること、妻夫木さんが出てること。
最初に知ってたのは、それのみ。

まず、もう、ケラさんお洒落ー!が一幕の感想。
映像と、振付で進んでいく物語や舞台転換。
最高にわくわくする。
そして、お洒落。もう、圧倒的に、お洒落。
私の中で、ケラさんお洒落なイメージが更に確立した。
あと、世田谷の劇場は行ったことがないんだけど、
キャパ250の劇場だそうで。あーそれはこのお芝居に合ってただろうな、と羨ましくもなった。梅田芸術劇場は広い。
しかし、天井が高いので、照明が美しかった。幸せ。
役者さんにスッと降りる照明の美しさ。


映画に毎日を色付けられながら生きる、主人公ハルコ。

彼女に自身を投影して観たお客さんは多そうだな、と思ったし
実際感想を見てると、とても多い。
そのハルコが、映画への愛情を受け止められ、彼女自身を愛されていくストーリーは心がきゅっとなる。
もちろんそれは自己投影以上に、方言や仕草、表情の可愛らしさと、
彼女の薄幸さに幸せになってー!と叫びたくなるような愛おしさを感じるからなんだけど。
特に好きだったのがふたつ。
ひとつが、紐で表現された枠とともに、ハルコがゆらゆらと揺れる演出。
乱暴者の亭主に詰られ、浮気され、彼女は揺れる。
世界を模る紐とともに、ゆらゆら。
それは世界の揺らぎで、歪みだ。
だけど、彼女は活動写真とともにその形や線を取り戻し、笑う。
この感じ。
おそらく、共感した人も多かっただろうな、と思う。
少なくとも私は共感した。
世界がゆらゆらと揺らいで自身も分からなくなる、その瞬間。
世界の線を取り戻せるのは、人によってはとるに足らないものかもしれないけど、彼女(あるいは、私たち)にとってはかけがえのない映画や物語だ。
もう、本当、愛おしい。

そしてもうひとつ。
嵐山に弄ばれたと諭され、泣き喚くハルコの妹のシーン。
もう死んでやる!と泣き喚く彼女が、ハルコに娘のきみこの名前を出され、
きみこの話はしないで、と言うところ。
ハルコは悪戯っぽく笑って、きみちゃんがいれば大丈夫だから、
お姉ちゃんいくね、という、そのシーンのあたたかさ。
どうしようもない失恋、大きな彼女の世界の悲劇が
生活で、戻っていく。
その感じ。もう、たまらなく好き。

映画や物語、お芝居という非日常がかたどって、
娘や姉という家族にその手を繋がれる人たちのなんと愛おしいことか。


ハルコは劇中言う。
現実はみんな悲しかったりしんどかったりすることばかり。
映画の中の人たちは最高。
その、象徴のような、物語のラスト。
乱暴者の亭主の言う通りだ。
現実は活動写真のようにはいかない。
高木が言った台詞のような言葉は、そのまま、台詞のように偽物として、果たされない約束として落ちていく。
だけど、それでも、ハルコは傷付いても、また活動写真を観て笑うのだ。
それは自分たちの生活と地続きで、ほんの少し、私たちの背中を押してくれる。


そういえば、妻夫木さんの映画に一時期ハマり、
その出演作をひたすらレンタルショップで借りたことがある。
そう言う意味では私にとって妻夫木さんはまさしく映画の憧れの人だ。
その人がこの物語を演じるところに、生で触れられたのはなんとも幸せなことだな、と帰り道ちょっとだけ思った。